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コラム・弁護士

 
   

「単独親権制」の正体

後藤 富士子

2017年1月

弁護士 ・ 後藤 富士子

1.民法で強制される「単独親権制」

民法818条1項は「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」と規定し、同条3項は「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と規定している。これに対し、離婚後は「父母のどちらか一方」を親権者と定めることが強制され(同法819条1項2項5項)、父母の協議で共同親権とすることはできないのである。このような絶対的単独親権制は、家族生活における個人の尊重と両性の本質的平等を規定した憲法24条に違反する。このことは、親権を失う側からすれば、当然の論理であろう。

ところが、現在の単独親権制は、むしろ憲法24条が規定する「個人の尊重と両性の本質的平等」に適うものとして、戦後の民法改正によって生まれたのである。すなわち、戦前の民法では、離婚後も「家ニ在ル父」が親権を行使するとされていて家父長的性格が濃厚であったところ、それが憲法24条に反するというので、「父母のどちらか一方」の単独親権とすることで男女同権が貫徹されたという。ここでは、父母のどちらか一方が親権を失うことについて、「個人の尊重」や「両性の本質的平等」に反するとは考えられていない。

2.「選択的夫婦別姓」論との比較

「単独親権制」をめぐる憲法論の論理構造は、既視感がある。そう、「選択的夫婦別姓」論である。こちらは、離婚ではなく婚姻の場面の問題で、婚姻の際に「夫または妻の氏を称する」(民法750条)という「夫婦同氏強制」が「個人の尊重」や「両性の本質的平等」に反すると主張されている。すなわち、同氏強制により旧姓を失う側からする人権の主張である。しかし、これも、戦前は「家長」の氏であったのを、「夫婦のどちらか一方」の氏に、憲法24条を根拠に改正されている。

ところで、婚姻の場合は、法律婚でなくても、「準婚理論」で保護される事実婚もある。重婚的事実婚の場合ですら、非嫡出子差別は許されないし、重婚的内妻についても遺言や贈与により財産譲渡が可能である。遺族年金に至っては、「生計を同一にしていた」との要件で、正妻ではなく内妻に給付される。すなわち、「事実婚」は、「夫婦別姓」論者がいうほど「不利益」を被らないのである。何よりも、「子どもの姓」を、子どもが生まれる都度、父母で決めることができる。かように、「同氏強制」を避けるためなら、「事実婚」を選択できる。

これに対し、法律婚を解消する離婚の場合、単独親権を回避する方途はない。しかも、昨今の離婚紛争では、夫婦のいずれも子を手離したくないから、子の親権・監護権をめぐって熾烈な争いになり、裁判所に事件と当事者の怨念が充満している。そして、破綻主義離婚では、子をめぐる熾烈な法的紛争の推移とともに破綻するから、これまた離婚判決により離婚が強制される。このような目に遇った当事者は、なぜ自分が裁判所からこれほどの苦難を強いられるのか、到底納得できないであろう。

3.親権を制限する法律上の根拠

民法820条は「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」としている。そして、家庭裁判所が父または母の親権喪失審判をできる場合の要件として、虐待、悪意の遺棄、親権行使が著しく困難または不適当であることにより子の利益を著しく害することをあげ(同法834条)、親権停止については、親権行使が困難または不適当であることにより子の利益を害することである(同法834条の2)。なお、親権喪失・停止の要件が専ら親権行使としての監護にあるから、親権とは別に監護権だけを喪失・停止させることはできない。そうすると、民法が定める親権喪失事由はおろか親権停止事由もないのに、「子の福祉」を理由にして片方の親の親権を喪失させる単独親権制は、民法体系に整合しない。

さらに問題なのは、離婚前の別居した夫婦間で子の監護に関する紛争が生じた場合、父母の共同親権に服する子について、家事事件手続法に基づき「監護者指定」「子の引渡し」を命ずる保全処分や本案審判がされることである。そこでは、「監護者指定」は「単独監護者指定」であり、片方の親の監護権を喪失させることによって、他方の親への「引渡し」を命ずることを可能にする。そして、「子の引渡し」を命ずる保全処分や本案審判は、当該親の親権を実質的に制限する権力的効果を有しているが、その実体法上の根拠は見当たらず、法定手続を保障した憲法31条に違反する。

また、児童福祉法でも、「児童の福祉」の名の下に、親権行使が容易に制限されている。たとえば、同法33条の一時保護は親の同意がなくても行える強制処分であるが、保護した児童に対し、児童相談所長は、監護、教育および懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができるとされている(同法33条の2第2項)。また、同法47条3項でも、児童施設に入所中の児童について、親権者がいても、施設長は、監護、教育および懲戒に関し、その児童の福祉のため必要な措置をとることができるとされている。これらの規定により、現実には、親権の内容である監護、教育、懲戒の権限が親から剥奪されて児童相談所長や児童施設長に移されるに等しい。しかし、なぜそのような権限移転が可能になるのか民法には規定がなく、専ら「児童の福祉」が「錦の御旗」になっている。

4.「国親思想」の克服 ― 親の「子育てする権利」の確立

私が日常的に実務の中で感じている「不思議」は、一応、形式的には法律に基づいて行われているにもかかわらず、法適用の結果としてもたらされる「現実」があまりに法の理念とかけ離れていて、当事者にとって耐えがたい苦しみになっている現象である。「単独親権制」も「監護者指定」「子の引渡し」も、裁判所が「子の福祉に適う」として国家権力を行使している。児童福祉法の措置でも、「児童の福祉のため必要」として公権力が行使される。

しかしながら、「子の引渡し」の執行の現実をみると、こんな裁判をした裁判官には子どもがいないのか?どんな子育てをしているのか?と疑うほど「顔が見えない権力者」である。そして、親子ともども著しい心的外傷体験となり、容易に回復できない。

ところで、「選択的夫婦別姓」論者は、論理が共通する「単独親権制廃止」ないし「離婚後も共同親権制」に賛同するかというと、現実にはそうとは言えない。むしろ、単独親権制維持論者が多いように思われる。それは、なぜか? 答えは簡単である。幼い子どもを現に監護するのは主に母親であり、戦前は虐げられていた母が離婚後の親権者になる道が開かれ、男女同権になったからである。「選択的夫婦別姓」論は、法律婚制度の仲間入りを主張するところがミソで、あたかも「名誉白人」を想起させるが、婚姻時の氏の選択で「弱い立場にある妻」が法律婚による国家の保護を要求する。この点が、「弱者である子ども」の福祉を国家が保障するという「国親思想」と共通する。

しかしながら、事実婚によって旧姓を維持できるのに、法律婚の保護を受けるために旧姓を棄てざるを得ないという女性が、社会制度を変革する力を持っているとは思えない。また、単独親権制廃止をともに闘おうとせず、むしろ単独親権制を「女性の既得権益」として維持しようとしているように見える。一方、「事実婚」の場合は、最初から父母のどちらか一方の単独親権が強制され、父母の共同親権にする方途はない。このことに照らすと、旧姓を保持するために「事実婚」を選択した夫婦なら、「単独親権制廃止」に共感するのではないかと思われる。

憲法24条が規定する「個人の尊重と両性の本質的平等」という理念は、「国親」をアテにしないで自立した個人にしか実現できないものである。そして、未婚・離婚にかかわらず、父も母も「子育てする権利」を公権力に奪われないようにすることか出発点ではなかろうか。すなわち、「子の福祉」の名による公権力の介入と引換に「私生活の自由」が奪われることを悟るべきである。

 

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