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コラム・弁護士

 
   

「立憲主義」の根本原則を破壊する「戦争法案」を許してはならない

穂積剛

2015年8月


弁護士 ・ 穂積 剛 1.「戦争法案」の問題点

安部内閣による「戦争法案」が、7月16日に衆議院で強行採決されました。現在この法案は参議院で審議中ですが、参議院での可決が得られない場合、安倍は憲法59条2項・4項の規定により、衆議院の3分の2の多数により再可決して成立させるつもりです。この「戦争法案」が実際には11もの法律案を一度に成立させようとするもので、これが実質的に「戦争のできる国」にするためのトンデモ法案であることは、すでに多方面で指摘されてきたとおりです。

しかしこの法案が極めて危険な代物であることを、ここでどうしても指摘しておかなければなりません。以前から公言しているように私は「憲法9条廃止論者」であり、我が国が軍隊を持つこと自体を絶対的に否定する立場ではありません。そうだとしても、この「戦争法案」は決して許すことができないのです。その最大の問題は、これがあからさまに「立憲主義」に反する内容となっているからです。

 

2.「立憲主義」とは何か

立憲主義とは、個人の自由・権利のために国家権力を制限することを目的として、憲法に基づいて政治を行うという統治原理のことです。この考え方は、近代以降のすべての国家における普遍的な統治原理となっているのです。

ものすごくざっくりいうと、近代立憲主義の基礎には、ロックやルソーといった学者の社会契約説という考え方があります。それは次のようなものです。

 「人間は本来天賦の人権を有する自由な存在だった。けれども人権をよりよく守ることを目的として、人民(国民)が国家に統治権を託す契約(社会契約)を締結したことで国家権力が成立した。その社会契約の内容を成文にしたのが『憲法』である。

したがって国家の権力は人民に由来したものであり、国家は人民の人権保障を目的として運営されなければならず、人民との契約内容である憲法に従って統治を行わなければならない。」

このように国家の究極的な目的は、主権者である個人の自由や権利の保障であり、そのために個人は統治原理を国家に委託しますが、その際に個人と国家との間になされる統治契約が憲法となります。

そして国家に統治権限を委託するにあたっては、その強大な権利を国家が濫用することなく、個人の自由や権利を保障する目的のみに使用してもらわなければなりません。そのために国家権力を立法・行政・司法の3権に分立し、相互に抑制・牽制させあって権利濫用を防止する仕組みが構築されたのです。

 

3.立憲主義の軽視による国家破綻

このように、個人の自由や権利を保障するために国家権力を制限しようとする統治原理は、当初は古代ギリシャやローマにおいて発祥し、その後ルネッサンス期以降の近代市民社会において発展してきました。フランス人権宣言やイギリス議会主義、やがてアメリカ合衆国憲法などが制定されることで、欧米諸国が飛躍的な発展を遂げることになる基礎となったのがこの立憲主義なのです。

ところが実際には、こうした立憲主義が軽視され、あるいは踏みにじられてしまったことが前例として存在しています。そのような事態になると何が起こるか。それこそ国家の破綻を招くことになるのです。

戦前の「大日本帝国憲法」の実態は、形式だけの立憲主義で内容の伴わないものであり、実際には立憲主義の名に値しないものでした。すべての権力が天皇に集中してしまう仕組みになっていたからです。立憲主義が機能していない統治機構のもとで、国家が破綻に至った一つの例と言えるでしょう。

以下では、非常に民主的な立憲主義憲法といわれたドイツのワイマール憲法(ヴァイマル憲法)の例を検討してみます。実質的立憲主義を定めていたはずのワイマール憲法下で、どのようにしてヒトラーとナチスによる独裁国家の成立を許すことになったのでしょうか。

 

4.「全権委任法」の成立

この問題について、中国人戦争被害賠償請求弁護団と長期にわたって協力関係にあった、東京大学教授の石田勇次先生による著書『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)が触れていました。

ヒトラーの独裁を許したのが「全権委任法」だったことは有名です。この法律は、国会の立法権を政府(行政権)にすべて委ねてしまうというもので、

「首相は国会審議を経ずにすべての法律(予算案を含む)を制定できるようになる。近代国家を特徴づける権力分立の原則が壊され、行政府の長=首相への権力集中がなされる」(『ヒトラーとナチ・ドイツ』153頁)

という危険な法律でした。このような法律が1933年3月23日に成立してしまうのです。これによって、国会審議に縛られないヒトラーの独裁体制が許容されることになってしまいました。

 

5.「授権法」と立憲主義

ここで問題となるのが、どうしてこんな法律が成立してしまったのかということです。民主的と言われたワイマール憲法において、なぜこんなことが可能だったのか。そのヒントが、やはり石田先生の本に書かれてありました。

「実は、授権法はこれまでにも何度か(立法範囲と有効期間を限って)ヴァイマル共和国期に制定されており、憲法改正と同様、国会の三分の二の賛成が得られれば成立していた」(同154頁)

つまり授権法は、1933年3月にいきなり成立したのではなかったのです。それ以前から何度か、立法権を行政権に委ねてしまう措置が採られていたのでした。このことが、最終的な「全権委任法」の成立を容易にしたことに間違いありません。

立憲主義の重要な基本原則は、権力の濫用を防止するために立法・行政・司法の3権に権力を分立して相互に牽制抑制させる点にあり、それを規定したのが主権者との契約である憲法なのです。ところがこのルールが蔑ろにされるとき、権力の集中が起こって国家の暴走と破綻が引き起こされる危険が現実のものとなるのです。

 

6.立憲主義からの「逸脱」

私は実際には、熟慮のすえ憲法9条は廃止すべきであると考えるに至りました。現在の「日本国憲法」には重大な問題点(末尾の注参照)があり、憲法を改正して是正しなければならないと思っているからです。

このように問題があると思っている「日本国憲法」ですが、しかし憲法における立憲主義の根本原則については、私は強くこれを支持しています。

たとえば憲法97条は、

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、犯すことのできない永久の権利として信託されたものである」

と規定しています。この基本的人権を保障するための仕組みである立憲主義こそ実は、「過去幾多の試練に堪へ」た「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」だったと言えます。人権を保障するために、数多くの犠牲を出しながらも人類が編み出した制度こそが、この立憲主義だったのです。

私が廃止すべきだと考える憲法9条ですが、しかしそれが憲法である限り、絶対に国家権力が勝手に蔑ろにすることは許されません。そのことは、国民と国家との根本的契約違反であり、この契約違反こそが立憲主義を破壊し、国家を暴走と破滅へと導く陥穽となるからです。

もともとワイマール憲法には、立法権を行政権に委ねる「授権法」に関する規定などありませんでした。立法範囲や有効期間を限ったとはいえ、憲法の定める三権分立の規定に反する「授権法」なるものを認めてしまったことが、後に拡大解釈されヒトラーによって「全権委任法」となってしまったのです。権力を縛る規範である立憲主義の一角を安易に崩してしまったことで、ドイツは国家の崩壊をまねく結果になったのでした。

このことを私たちは、絶対に忘れるべきではありません。はじめから中身のない形式だけの立憲主義だった大日本帝国が破綻したのは当然として、当時としては非常に先進的で民主的といわれたワイマール憲法が破綻した契機となったのは、ほんのわずかな「憲法に基づく統治」からの逸脱だったのでした。これとまったく同じ危険が、現在の日本国憲法についても間違いなく存在しているのです。

 

7.「集団的自衛権」と立憲主義

現在安倍内閣が成立させようとしている「戦争法案」は、これまで歴代の内閣法制局(行政府内にあって法律の解釈を行う部署)が例外なく「憲法9条違反である」と解釈してきた「集団的自衛権」の行使を認める内容です。それを安倍内閣は、一内閣の閣議決定だけで変更させようとしています。本来ならこれは、憲法改正手続を経ることでしか実現することのできないものです。ところが安倍内閣は、たかが閣議決定だけで、憲法の実質的変更を強行しようとしているのです。これは、ワイマール憲法下において「授権法」を認めるのに匹敵する危険極まりない行為だとしか言いようがありません。

現在の自民党と安倍内閣は、この「戦争法案」だけでなく労働法制や刑事訴訟法の改悪など、片っ端から悪法ばかり成立させようとしています。しかしそのなかでも、近代立憲主義の基礎の基礎を崩そうとするこの「戦争法案」は、突出して危険度の高い暴挙と言わなければなりません。

このような滅茶苦茶なやり方を許してしまえば、これは国家の根幹を毀損する行為であり、この国が再度破滅への道に進む重大な一歩になってしまいます。しかもこうしたやり方を一度でも許せば、引き返すことが難しくなってしまうのはまさに歴史が教訓としているところです。ワイマール憲法がまさしくその例でした。

 

8.「戦争法案」を成立させてはならない

このように今回の「戦争法案」は、かつてなく国家を破滅させるおそれの高い危険極まりない悪法です。

絶対にこのような悪法を成立させないで下さい。国家の根幹の根幹をどうか守って下さい。立憲主義こそ、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であって、この制度は「現在および将来の国民に対し、犯すことのできない永久の権利として信託されたもの」だからです。私たち、国家統治を国家に委ねた側である主権者が声を上げなければ、この国は破滅への道を進むだけになってしまうでしょう。

以上

 

(注)

もともとこの「日本国憲法」の成り立ちは、昭和天皇を戦犯から除外して戦争責任を免責し、天皇制を維持させるための引換として憲法9条が制定されるという、極めて歪つなものでした。ところがこの憲法9条のために日本人は、この国が侵略によって何をしたかという倫理的根本問題を解決することなく、「平和」を語るようになってしまったからです。

私は、この国が行った侵略行為に対して正面から事実と責任を認めることこそが最重要の課題であり、戦争責任の問題に日本人が取り組むことの障害になってきたとしか思えない憲法9条はなくてもいいと思っています。昭和天皇の戦争責任を免責して、天皇制を維持するために制定された憲法9条なら、むしろない方がいい。戦争責任を徹底的に追求して、天皇制を廃止し、同時に憲法9条も廃止すればいいというのが私の持論です。

実際、ドイツは戦争責任の追求を自国の力でそれなりにやってきましたが、軍隊を持っています。日本は軍隊を持っていない建前ですが、戦争責任の追求を自国で行ったことはありません。どちらを選ぶかと言われたら、迷うことなく私は前者を選びます。そして戦争責任の真の実現は、天皇制の廃止なくしてはあり得ない。これは私の尊敬する若槻泰雄教授とほぼ同じ意見です。

 

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