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コラム・弁護士

 
   

「幸福追求権」を軸に紛争解決を

後藤 富士子

2018年1月

弁護士 ・ 後藤 富士子

1.幸せのかたち

日本国憲法には、意表をつかれる「幸福」という言葉が書かれている。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という第13条である。しかし、「幸福追求権」を明示的に認めた判例は見当たらない。それは、「幸福」という概念が多分に私的で主観的なものだからかもしれない。私は、離婚後の単独親権強制(民法819条)を違憲とする根拠の一つに「幸福追求権」を主張してきたが、日本の司法はまともに受け止めようとしない。「幸福」について、法的感受性が欠如しているのである。

新年早々、朝日新聞で「幸せのかたち@世界」が連載されている。1月6日には、インドネシアの16歳の新郎と71歳の新婦の結婚が紹介されている。55歳という年歳差も度肝を抜かれるが、同国の法律が定める結婚最低年齢の「男性は19歳、女性は16歳」も満たしていない。それでも結婚できたのは、同国の法律には「信じる宗教に基づく結婚は合法」との条文があり、イスラム教に基づく「ニカシリ」(秘密婚)という(イスラム法には結婚年齢の明確なルールがない)。同国での結婚には立会人が必要で、新郎は地区長を何度も訪ね、「認めてくれないなら2人で死ぬ」と訴え、地区長は村内の説得に乗り出した。そして、村をあげての盛大な結婚式が行われ、式場に自宅を貸した村民は「こんなに純粋な愛がこもったニカシリはない。村の誇りです」と話す。なお、記事では、これを「法律と現実のギャップを埋める超法規的な事実婚」とされているが、それは違うと思う。同国の法律で許容された結婚であり、結婚の要件である立会人もいるのだから、法律婚であろう。ちなみに、「未婚で同棲を続けるよりは」と、親族も賛成している。

これに対し、日本の場合、「婚姻の要件」として、婚姻適齢(民法731条)、重婚の禁止(同732条)、再婚禁止期間(733条)、近親者間の婚姻の禁止(734条)、直系姻族間の婚姻の禁止(735条)、養親子等の間の婚姻の禁止(736条)、未成年者の婚姻についての父母の同意(737条)、成年被後見人の婚姻(738条)、婚姻の届出(739条)、婚姻の届出の受理(740条)、外国に在る日本人間の婚姻の方式(741条)が定められているが、重要なのは、「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」(739条1項)としたうえで、「婚姻の届出は、その婚姻が第731条から第737条まで及び前条第2項の規定その他の法令の規定に反しないことを認めた後でなければ、受理することができない。」(740条)とされていることである。すなわち、国家が定める「法律婚」のみが結婚とされ、前掲のケースが法律婚として認められることはあり得ない。しかし、憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」すると定めている。それにもかかわらず、戸籍制度で個人の自然な愛情や結婚意思が圧殺される日本の現状は、「幸福追求権」など無に等しい。「法律婚優遇」制度は、「個人の尊重」と両立しない冷酷で非人間的な制度であることを、「幸福追求権」は教えている。

2.「幸福」を基準にした見直し

現行法や実務を「幸福」という見地から見直してみよう。その作業を通じて、憲法が定める基本的人権としての「幸福追求権」の輪郭や中身が明らかになると思われる。

たとえば、「婚姻中は父母の共同親権」とする民法818条3項についていえば、単に男女平等原則の帰結ではなく、父母にとっても子どもにとっても「共同親権=幸福」とするのが法意と解される。そうであれば、「婚姻中」に限らず、未婚でも、離婚後でも、父母の共同親権が幸福とされない理由は想像できない。むしろ、未婚や離婚で「単独親権」が法律上強制される方が、不幸ではないか。単独親権制それ自体が憲法14条の両性の平等と両立しないが、それを法律で強制することは、明らかに「個人の尊重」や「幸福追求権」を侵害する。すなわち、憲法13条では、単独親権制それ自体というよりも、「法律による強制」が問題なのである。そう考えると、紛争解決の多様性と当事者の主体性・主導性が見えてくる。法律による単独親権強制がダメだといっても、「それではどうするか?」という解答は出てこない。それぞれのケースで、子どもを含む当事者全員にとって「幸福度」の高い解決を創造するほかに方策はないのであり、それは裁判官の権力行使によって実現できることではない。

ところで、「幸福ってなに?」と各人が考えないと、そしてそれを各人が見つけないと、そもそも「幸福追求権」が実存し得ない。前掲記事では、「幸せって?」との問に、新婦は「彼が隣にいて、私を『アデ』(妹)と呼んでくれたらどんな時でも幸せ」と答えている。

「幸せのかたち」は、人それぞれである。それでも「幸福追求権」が憲法で基本的人権として保障されているのは、「誰でも自分の幸福を追い求めることができる」という、人間性に対する信頼ないし肯定的理解があるからではなかろうか。紛争当事者間で、相手方を不幸にすれば自分が幸福になれるとは考えられない。自分が幸福になるために、結果として相手方を不幸にすることは避けられないかもしれないが、だからこそ、子どもを含む当事者全員にとって「幸福度」の高い解決を創造する努力を惜しんではならない。実際にも、そのような努力によって当事者それぞれが「幸せって?」を考え、それなりに開かれた将来を生きるステップを踏み出すことができる。「幸福追求権」こそ人間賛歌であり、私たちは、これを活用して幸せになりたいものである。

 

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