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コラム・弁護士

 
   

インクも凍る! 極寒の信州松本支部探検 その4

鈴木 周

2016年8月

弁護士 ・ 鈴木 周

松本在住弁護士会館は、裁判所から徒歩2分の好立地であった。平成26年6月にできたばかりのピカピカの建物で、建物の外側はガラス張りになっており、その内側の外壁は白く塗られた木製であった。大変に瀟洒な建物で、隊員一同、「おお、カッコいい!」「オシャレー!」等と驚嘆の声を上げ、引率の安藤氏もムフフと満足の笑みを浮かべていた。いやこれは自慢したくなる気持ちもよく分かるし、十分自慢に値する会館であった。ちなみに、この会館は、松本在住弁護士の有志20名ほどで社団を作って、その社団が融資を受けて建てたものであり、現在松本在住会(約50名所属)が社団に対して賃料を払う形になっているとのことであった。「2億円もかかりました。」と言っていたので、一人400万円とは、なかなか痛い出費だなあ、でもそれだけの価値はあるか、と思ったのだった。なお、会館は弁護士なら誰でも自由に使えるということで、在住会は実にオープンなのであった。  

インクも凍る! 極寒の信州松本支部探検 その4

記念撮影の後、館内も見せて貰ったが、フロアは2層で、200u×2くらいだろうか。館内には、1階に事務スペースと相談室及び小会議室、2階に大会議室があるのだが、いずれも新品の家具調度が整っており、テレビ会議システムも完備していた。特に2階奥の会議室は50人規模の会議もできるであろう大型のものであった。外観だけでなく、内部の意匠も凝っていて、部屋の窓はレトロ調の白い木製で、鍵も懐かしい金色のグルグル式のが付いており、自前の在住会館に対する会員の思い入れが伝わってきた。と思ったら、安藤氏は、「実は私は建築反対派だったんです。」とのことで、ズルっと脱力したが、やっぱり建ってみたら愛着が湧いてきた、というなのだろう。

いや、これはよいものを見せて頂きました、ということで、次は、本日のメインエベントである司法博物館に向かうことになり、在住会館に停めてあった安藤カーと宮坂カーに分乗させて貰い、松本市内を南下したのだった。

司法博物館は在住会館から車で約15分程度のところにあった。国道158号から博物館方面に曲がると朝鮮学校があるのだが、私はここで10年前のことをハタと思い出し、安藤氏に「そうそう、あの学校にぶち当たって、司法博物館に辿り着けなくて帰っちゃたんです。」と言っていたら、学校のはるか手前で「はい、着きましたよ。」とか言うので、「ヘ?」と思ったら、沿道左手に司法博物館が建っていたのだった。辿り着かなかったんじゃなくて、単に通り過ぎてただけだったのか…。すごく古風な建物なので、お寺かなんかだと勘違いしていたのだと思われる。

午後3時に司法博物館に着くと、駐車場では北尾トロ氏が待っていて、「やあやあどうも」等言いながらお土産を渡し、早速皆で館内を探検することにした。受付に向かう通路には、裁判所で使用していた木製の掲示版があったが、完全に吹きさらしであったので、「こんなところに公示送達なんか貼ったら濡れたり飛んだりしそう。あと誰か持ってっちゃうかも。」と思った。入場料は一人400円であったが、受付に誰もおらず、「すいませーん。」と声をかけたところ、奥から係のオジサンが出てきて、チケットをもぎり、パンフも人数分渡してくれた。こんな平日に司法博物館に来る人なんていないので、窓口で待機する必要もないのだろう。実際に、我々の他には誰も見学者はいなかった。

敷地内に入り、司法博物館へと向かったが、旧庁舎は想像以上に立派な建物であった。余計な装飾などはないものの、どことなく平等院鳳凰堂を彷彿とさせるデザインで、威厳に満ちた木造建築であり、一同、「こりゃすごいね。前は裁判所こんなんだったんだね。」と感心しきりであった。聞けば、昭和57年までは松本市街の丸の内にあり、実際に裁判所として使っていたということであり、松本のベテラン会員は実際に出入りしていた方もおられることと思われる。

インクも凍る! 極寒の信州松本支部探検 その4

館内に入ると、明治憲法下の検察官の法服と帽子が展示されており、意外なことに、「着用して結構です。」と言う事だったので、大輔隊員に「これを着て館内を見学するように」と指示した。実際に着てみると結構似合っていたので笑ってしまった。

玄関を入って右手には、おお、やはり、事前の想像通り、捕物や刑罰のための用具が並んでいた。「しかし、この刺又(さすまた)、捕まえるだけじゃなくて、どうみても殺傷を意識しているな、トゲトゲ余計だろ…。その横には十手が沢山あるけど明治時代は使ってなかっただろうに、何で展示してるんだろう。」と思いつつも、興味深く見せて貰った。また別のケースには、「これ何? 『ほうきじり』って、単なる棍棒に見えるけど、要するに野球部のケツバットだな。これでビシビシ取り調べしたのか。」と思いつつ右上に目をやると、「取り調べ・処罰の道具」と書いてあった。しかし、なんというか、取り調べと処罰は全く別なんだから、いっぺんにやっちゃったらダメでしょうに…、手続法は一体どこに行ってしまったのであろうか。昔は、そのあたり渾然一体で、ビシビシやって懲らしめて、自白とれたらはいお終いよ、ということだったのだろう。憲法36条で、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」となっているのは、昔よっぽどやってた裏返しなんだろうから、少々背中がうすら寒くなる話だなあ、と思った。

捕物室の奥には、20畳程の小ぶりの法廷があった。「区訟廷」と書いてあったから、簡裁に相当するのだろうか。席の配置は現在と同じであった。「席に座るのは、ご遠慮下さい。」ということで諦めたのだが、裁判官席が今よりもずっと高いのには驚いた。すごく高くて証言台に立つと、上から見下ろされている感じであった。昔の人は小柄だったから、より威厳を持たせようとしたのだろうか。法壇のところには高さ解説の定規が設置してあって、明治憲法下では65cm、現在は45cm、裁判員裁判は35cmで、被告人が起立した時に裁判員と同じ目の高さになるように作ってあるのだそうだ。

インクも凍る! 極寒の信州松本支部探検 その4

その後、検事室、判事室など見学して回り(そういえば弁護人待合室はなかったかも知れない)、左手奥にあるメインの支部訟廷に入った。そこは、区訟廷の倍くらいある大きなな法廷で、裁判官、検察官、代言人(なのか)のリアルな人形がそれぞれの席に座っていた。面白いのは、検察官席が裁判官席の右側(下からは向かって左)にあり、すなわち法壇の上にあり、代言人席は下の端っこであったことだ。当時は立場対等ではなかったのだろう。傍聴席を、ふと見てみるとボタンが付いており、「これを押すと、刑事裁判の様子が流れます。」というので、ポチっと押してみると、館内に音声が鳴り響き、突如として刑事裁判が始まった。せっかくなので、検事席に大輔隊員、代言人席に西岡隊員、被告人席に山本隊員を配置し、リアルに体験してみることにした。しかし、テープの時間の都合もあるのだろうが、人定質問も、起訴状朗読も、冒陳も何もかもすっ飛ばし、突然論告求刑が始まったのだった。聞けば、被告人の鈴木は(こういうので何かやらかすのは大抵鈴木で、少々不本意である)、痴情のもつれから被害者2人を殺害しようと企て、包丁で切り付けたところ、男は死んだものの、女の方は助かった、ということであった。そしたら求刑はなんと死刑! ちょっと重いんじゃないの…、と皆が思ったが、大輔検事は法壇の上から毅然とした態度で我々を見下ろしていたのであった。その後、西岡代言人の弁論要旨が始まったが、これもなんとしたことか、突如「やったのはオレじゃない!」と犯人性を争い始めたので一同腰が抜けそうになった。オレじゃないってアンタ、女殺しそこねて顔見られてるんでしょう、それどうかと思いますよ…、と皆が思ったものの、代言人もそのあたりは先刻承知で、「それだけでなく、実は、朝から夜まで過酷な取り調べがなされており〜」として、最後の最後になってから自白の任意性も争ったのであった。すると、裁判長が、急に「判決を言い渡します。」とか言い出したので「なんだなんだ」と驚いていると、もっと驚いたことに「被告人は無罪! 現在ではそのような取り調べは許されないので証拠から排除!」ということで、文字にするとたった2行の弁論で違法収集証拠が排除され、凶悪犯が無罪放免となってしまったのだった。あっけにとられる廷内。自由の身になった山本被告人は歓喜のガッツポーズで、檀上では大輔検事がうなだれ、「取り調べが違法で無罪じゃ、オマエ左遷だよ左遷。」と口さがないヤジが傍聴席から飛んだのであった(私です)。とまあ、結構強引な筋立てではあるものの、「現在では許されない」と言っているところを見ると、やはり手続法の大切さを皆に分かって貰いたいために作られたシナリオなのだと思われる。ただ、見学者が素人さんだと、「フーン、そういうものなのか。」というだけで、この面白さはまるで伝わらないだろうな、とも思った。

あー面白かった、最後どんでん返しだった、と言いつつ訟廷を後にし、司法博物館の裏手に出たところ、そこには旧松本少年刑務所独居舎房が移築されていた。

【以下次号】

 

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